mirage

登場人物

A♀:テンションの上下が激しい、Bの家に居候をしている
B♂:心身ともに健全な社会人

あらすじ

不健全な精神の女と健全な精神の男の話
鬱エンドです

やる前の注意

R18ではないですが、ちょこちょこセックスの話が出てきます
ハッピーエンドじゃないよ!!!

台本

A:おかえり!!!

B:ただいま...
お前、また薬飲んだのか

A:そうだよ!
今めっちゃ楽しい!
洗濯物干したし、掃除機もかけといたよ!

B:そっか、ありがとう

A:ね?暗い顔してる私より、元気な私の方がいいでしょ?

B:俺は、普通にしてくれればそれでいいよ
ねえ、なんで普通のことが普通にできないの?

B(M):彼女は、数ヶ月前から俺の家に住み着いている
駅前の飲み屋で知り合って、気付いたら俺の家にいた
実家に帰るように勧めても、嫌そうな顔をして黙るだけだった
仕送りはあるようで、生活費には困っていなさそうだが、知らない男の家によくもまあ居れるな、というのが正直な感想だった

A:...うるさいなあ

B(M):「普通」という言葉は、彼女の地雷のようで「普通にしてくれ」という度に彼女は機嫌を損ねる

A:普通、って何?
ひらひらしたスカート履いて、自分の顔を塗り替えて、へらへら笑ってれば、普通なの?

B:そういう意味で言ったんじゃないよ
まあ、たまにはジャージ以外の服も来てほしいけど...

A:洗濯はしてるんだからいいでしょ?

B:...とにかく、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて

A:じゃあ、何が言いたいの?

B:その、薬を飲んで訳の分からないテンションになったり、俺に奢らせておいてトイレで全部吐いたりする、そういうのを辞めてくれって言ってるんだよ

A:じゃあ奢らなくていいよ
そもそも、奢ってくれなんて誰も頼んでないし

B:はあ...
食事のことは、まあ置いとくとして、薬の方はなんとかならないのか?
酒じゃだめなの?

A:私は酒が合わないの

B:でも、お前確かハイボール好きだよな?

A:ハイボールは好きだけど、飲んだらすぐ寝ちゃうから、楽しいのもすぐ終わる
そもそも、一人で飲んでも全然酔えない

B:そうか...
薬以外に、なんか楽しいことは見つけられないの?

A:ない

B:でも、漫画読んだり、映画見たりしてるじゃん

A:誰かといれば多少はマシだけど、そもそも気分が落ち込んでるのに何したってつまらない
だから、気分を変えるために私は薬を飲むの
気持ちいいよ?君もすれば?

B:...

A:ねえ、なんでそんな顔するの?
楽しい私が嫌いなの?

B:俺はもう、どうしていいかわからないよ

A:どうもしなくていいんだよ
だって、所詮は他人でしょ?
他人がどうなろうと、君には関係ない
君は、ただ都合の良い暇つぶし相手くらいに私を考えればいいの
それで、私に飽きたら、また別のおもちゃを探せばいい
遊び道具のメンテナンスをいちいち考えても、時間の無駄だよ?

B(M):そう言って、彼女はけらけら笑いだした
俺はただ無言で彼女を見つめることしかできなかった
死にそうな顔で布団を抱きかかえている彼女と、焦点の合っていない目で笑い転げる彼女の、どっちが本当の彼女なのか、だんだんわからなくなっていた

**

A:...おかえ、り

B:おう、ただいま
元気ないな、何かあった?

A:何もない...
ただ、つらいだけ

B:そうか
飯でも食いに行くか?

A:どうせ吐くだけだし、いらない

B:そう言うなよ、外に行けば気も晴れるかもよ?

A:...なんでもいい

B:よし、じゃあ外に行こう
着替えるから、ちょっと待っててな

A:うん...

B(M):今日は薬を飲んでいないようだ
虚ろな目で、宙を見つめている彼女は、放っておけばどこかに飛んでいってしまいそうだった

B:よし、じゃあ行くか!

A:...

B(M):彼女は黙って、俺の服の裾をつかんだ
快活で気の強そうな外見とは裏腹に、彼女が傷つきやすく、他人の一挙一動に振り回されるのは、この数ヶ月で痛いほどわかった

A:どこにも...行かないで...

B:行かないよ
俺は、ここにいるよ

**

B(M):結局、彼女は帰るや否や、水道水を大量に流し込んでトイレを占拠した
彼女にとっては、食事の後に吐くという行為は、もはやルーチンワークなんだろう

A:...ごめんね

B(M):涙目で、青白い顔をしながら、彼女はそう言った
謝るくらいならしなければいいのにと思ったが、そう単純な話でもないんだろう

B:いいよ、綺麗にさえしてくれれば
自分の楽なようにしな

A:ありがと
...だっこ

B:はいはい

B(M):精神状態の不安定な女は、セックスをしたがるイメージがあったが、彼女は違った
セックスよりも、抱きしめられることの方が好きなようで、こんな感じで定期的に「だっこ」を要求された
彼女とセックスをしたい気持ちがないかと言えば、嘘になる
ただ、一度してしまったら、俺と彼女の関係が壊れてしまいそうで、踏み出せなかった

A:私のこと、好き?

B:好きだよ
いつも言ってるじゃん

A:うん
ありがと

B:はいはい
もう寝ちゃいな?
疲れたでしょ

A:やだ
寝たら、いなくなりそう

B:俺は、どこにも行かないよ
だから安心して寝な

A:...うん
好きだよ......

**

B:ただいまー...
あれ?

B(M):いつも聞こえるはずの声がしない
太陽が出ている間は外に行かないはずなのに、彼女が家の中にいる様子がなかった
なんだか胸騒ぎがした
電話をかけてみても、音声案内がむなしく流れるだけだった

B:...くそ、どこ行ったんだよ

B(M):恋人でも、家族でもない
それでも、一緒にいるうちに、いつの間にか情がわいていたようだった
彼女の名前以外、名字すらほとんど知らないのに、今は彼女のことが心配でたまらなかった
感情というのは不思議なものだ
冷静に考えたら、彼女がいなくなれば、日中の電気代は浮くし、トイレを占拠されることもなくなるはずで、いいことづくめだ
なのに、俺は仕事着のまま玄関を飛び出していた

B:どこにもいない…
明日も仕事なのに、ったく…
というか、今何時だ?

B:はあ、あと1時間探したら、いい加減諦めるか...

B(M):仕事から帰ってきたのが7時なのに、腕時計の針はもう12時過ぎを指していた
彼女が好きな焼き鳥屋も、安いから良く行くと言っていたファミレスも、ネカフェも、公園も、全部探した
彼女は、どこにもいなかった
もう探せるところもなくなってきたし、俺の足もそろそろ悲鳴を上げてきたので、商店街を通って家に向かうことにした

B(M):タバコ屋の前を通ったところで、誰かがうずくまっているのが見えた
最初は、深夜徘徊中の不良中学生かと思ったが、よく考えたら不良が一人で行動するはずがない
そして、暗がりの中、目を凝らすと、見慣れたショートカットの頭があった

B:...おい!

B(M):かったるそうに彼女は顔をこちらに向けた
俺を見る目は、また焦点が合ってなかった

A:だれー?

B:俺だよ!よく見ろ!

A:んー?
わかんなーい

B:お前、薬何錠飲んだ?

A:く、すり...?

B:そうだよ!
薬だよ!俺んちの洗面所に置いてあるやつだよ!

A:あー...
覚えてないやあ、あはは
ていうか、お兄さん、だれ?

B:お前が住んでる家の男だよ!
なんで分からねえんだ!

A:あは、しらなーい
でも、お兄さん、かっこいいから、誰でもいいやー
何してるのー?

B:お前を迎えに来たんだよ!
ほら、帰るから!立て!

A:んー?
かえ...る?
私、おうち、ないよ?
親が出てけ、ってさあ、あははは
頭が、おかしいからあ、居てほしくないんだってー
めっちゃ面白いよね!
お兄さんも笑いなよ、楽しいよー

B:っあー!
とにかく!帰るぞ!

A:あーわかった!
お兄さん、セックスしたいんでしょー!
いいよー、泊めてくれるなら、セックス、しよう?

B:お前は...!
お前は…、どうして、もっと自分を大事にしないんだよ!
俺は、お前が大切だから、大事にしたいのに、お前が自分を大事にしなかったら、意味がないだろ!!

A:じぶんを、だいじに...?
あはは、よくわかんなーい!
大事になんて、しないよ!
だって嫌いだもん!
私、自分のこと、だいっきらい!
だから、見て、これ!
こんなに、自分のこと、嫌いなんだよ!

B(M):楽しそうに笑いながら、彼女がジャージの袖をまくり上げると、腕には無数の切り傷がついていた
どんなに暑くても、頑なに半袖を着ようとしなかった理由に納得しつつ、俺は黙って袖をおろしてやった
不思議そうな顔をする彼女には、もはや俺の言葉を理解する余地はなさそうだった
俺は黙って手を引いて、彼女を家に連れていき、布団に寝かせた

**

A:...ごめんね、ごめんね……

B(M):彼女のすすり泣く声で、俺は目が覚めた
寝ぼけ眼で時計を見ると、3時だった
どうした?と聞いても、彼女はただ泣くばかりだった

A:どこにも、行かないで...
嫌いに…ならないで…
何でもするから、捨てないで…

B(M):俺が慰めの言葉をかけても、彼女には届いていないようで、俺の腕に抱きついたまま離さなかった
夜が明けるまで、彼女は俺の腕を解放してくれなかったので、俺はいい加減に腕の感覚を失っていた
結局、ろくに眠れないまま家を出る時間を迎えた
ごそごそと準備をしていると、彼女は目を覚ました

A:また、行くの...?

B:おう、行かねえと飯が食えねえからな

A:行かないで...

B:まあまあ、がんばって定時で帰ってくるから
心配するなって

A:ひとりは、いやだ…

B:わかったわかった、今度ぬいぐるみ買ってやるよ
そしたら一人じゃないだろ?

A:うん...ありがと
わがまま言ってごめんね、いってらっしゃい

B(M):そう言って、彼女は絶望を隠すように笑った
薬を飲んでいない次の日は、いつもこんな感じだ
だが、いつも通りの光景なはずなのに、なぜかとても嫌な予感がした
それでも仕事は休めないので、昨日あんなことがあったせいだ、と自分を言い聞かせて家を出た

**

B(M):朝の不安は、日中も消えず、終業のチャイムが鳴ってもまだ残っていた
仕事は終わっていなかったが、同僚と上司に頭を下げて、定時上がりを強行した
会社から駅まで走って、乗り換えのホームでも走って、駅から家までも、また走った
スーツを汗だくにしてドアを開けると―

彼女は、いなかった
布団で寝ているだけだ、というわずかな希望を持って家に上がったが、やはりどこにもいなかった

ふと、机の上に見慣れないメモ帳があるのが目にとまった
おそるおそる表紙をめくると、俺に宛てたメッセージが書いてあった
そういえば、彼女の字を見るのは、これが初めてかもしれない

メッセージと呼ぶには長すぎる文章が、読みやすい字で何ページにもわたって書いてあった
内容は、彼女の書いた創作だった

二人の男女が、出会って別れる話で、どことなく悲しくて、どことなく非現実的だった
その雰囲気が、彼女にそっくりで、そこにいないのに、彼女がいるようにさえ感じた
鉛筆で書いてるのに、消しゴムを使わずに二重線で消しているところに、ものぐさな彼女らしいなあ、なんて思ったりもした

物語の終わりでは、女が自殺した
そして、読み終えると、なんとなく、彼女がもういなくなったような気がした

静寂に耐えられなくて、テレビのリモコンを手に取った
適当なニュースチャンネルに回して眺めていると、速報が流れた

最寄りの駅で、飛び込み自殺があった―
自殺者は、身元不明の若い女性だそうだった
ジャージを着ていて、財布も何も持っていなかったらしい

そりゃそうだ、ここに全部あるんだもんな
はは...

メモ帳の紙が、滲んだ
涙が止まらなかった
物語を読んだ時点で、なんとなく、彼女が自殺することは分かっていた
それでも、現実を突きつけられたショックは耐えられないくらいに大きかった

日中いくらでも時間があったはずなのに、夜になるまで決行しなかったのは、俺が帰宅中に足止めをくらわないようにしたためだろう

B(M):俺のこと考える前に、なんで、自分のことを…考えられなかったんだよ…!

誰もいない部屋に向かって、怒りなのか、悲しみなのかわからない叫び声を上げた
感情にまかせてメモ帳を投げつけても、感情をぶつける相手はもういない
床に落ちたメモ帳を拾うと、最後のページに小さく何かが書いてあった

A(M):『ごめんね、大好きでした。今までありがとう。私のことなんかはさっさと忘れて、幸せになってね』

B(M):今朝、仕事に行っていなければ、もっと彼女の話を聞いてあげていたら、病院に連れて行っていれば―
無意味な「たられば」が頭を駆け巡るので、酒を煽って、無理やり気持ちを落ち着かせた

しばらくすると、これが彼女にとって一番幸せな道だったんじゃないか?という思いが浮かんだ

彼女は、現実に生きるにはあまりにも脆かった
他人の言葉一つで、行動一つで、心が切り刻まれる
自分の存在する理由を、他人にしか求められない
好きだという気持ちすらも、架空の登場人物に代弁させることしかできない
助けを求めたくても、自分で自分の口に蓋をする
薬で正気を失ったときにしか、彼女の心の声は聞こえない
だから、きっと、これが彼女の幸せの形なんだろう

B:なあ、寂しいよ
戻ってきてくれよ

B(M):この声は、届いているのだろうか?
届いているのなら、せめて―

B:来世では、幸せに


END